車椅子で働いてみる:スカンディックのチェックリストが「112項目と6つの手順」になるまで
北欧最大のホテルチェーン、スカンディックのアクセシビリティ(使いやすさ)の取り組みは、本社に車椅子を借りてくるところから始まった。2003年のことだ。そこで生まれたチェックリストは、93項目から始まり、20年以上かけて形を変えてきた。今は、建物や設備についての112項目と、日々の運営についての6つの手順になっている。
たとえば、朝食のビュッフェ。車椅子に座ったまま、コーヒーカップに手を伸ばしてみる。届かない。洗面所では、鏡に映るのは額から上だけだ。立っているときには、一度も気にしたことのない高さだった。
2時間、車椅子で過ごす
2003年の夏、スカンディックは、マグヌス・ベルグルンドを障がい者対応の担当者として迎えた。彼が最初にしたのは、本社に何台かの車椅子を借りてくることだった。3か月の間に、本社の全員が2時間ずつ、車椅子で過ごした。
車椅子は、障がいの一つの形にすぎない。それでもベルグルンドは、社内で話し合いを始めるには、とてもよい方法だと考えた。実際に座ってみたスタッフからは、「鏡はこんなに高い位置にある必要があるのか」「朝食のビュッフェで、コーヒーカップにどう手を伸ばせばいいのか」といった声が上がった。経営に関わる人から現場のスタッフまで、同じ不便を自分の体で知ったことが、その後の取り組みの土台になった。
93項目から始まったチェックリスト
ベルグルンドたちは、障がいのある客や障がい者団体と一緒に、ホテルのアクセシビリティの基準をつくった。それが93項目のチェックリストだ。そのうち77項目は、すべてのホテルに義務づけた。新しく建てるホテルは、すべての項目を満たす。
項目は具体的だ。ベッドのまわりに80cm以上の空間をとる。ドアの幅は80cm以上にして、車椅子や松葉づえ、歩行器でも通れるようにする。車椅子のままでも使えるよう、洗面台は下に脚が入る高さにする。フックは、いろいろな高さにつける。
客の声から生まれた工夫もある。耳の不自由な母親は、ホテルで火災報知器が鳴ったとき、どうやって起きればいいのか。そんな問いかけから、振動で知らせる目覚まし時計がつくられた。火災報知器が鳴ったときにも動く仕組みだ。
障がいは、体の動きや耳、目のことだけではない。ぜんそくやアレルギーなど、環境に敏感な人のために、じゅうたんを敷かない部屋、アレルギーに配慮した布、揮発するガスの少ない塗料も選んでいる。清掃の洗剤は控えめに使い、香りのないものだけを使う。
当初からの目標の一つは、客室の少なくとも10%を、障がいのある客にも使いやすい部屋にすることだった。2008年には、1年で100室以上を増やしている。
項目は増え、形を変えた
チェックリストは、少しずつ育っていった。2009年には、各ホテルのアクセシビリティを詳しく紹介する資料を、ホテルチェーンとして初めてウェブサイトに載せた。2010年には、基準は110項目になっている。2018年には135項目の基準が全ホテルで使われ、1万6,000人のスタッフが、アクセシビリティについてのオンライン研修を受けていた。
その後、項目は159まで増えた。2025年の改訂では、建物や設備についての112項目と、日々の運営についての6つの手順に整理し直している。国際規格に沿うことを目指し、国ごとの法律のほうが厳しい場合は、その厳しいほうに従うという。
設備と同じくらい重視されたのが、スタッフの接し方だ。すべてのスタッフが研修を受け、どんな客にも過ごしやすくするために自分に何ができるかを学ぶ。朝食の料理を、誰からも見えて手の届く位置に並べる。補聴器に音を届ける設備(ヒアリングループ)の仕組みを知っておく。どれも、特別な技術ではない。
当時の社長、フランク・フィスカースは「大きなホテルチェーンは、足を骨折した人にも、耳の不自由な人にも、車椅子を使う人にも、使いやすくなければならない」と語っている。アクセシビリティを、より多くの客に開かれた宿になるための、事業の力として見ていた。
ベルグルンドは、一番うれしいのは、客から「スカンディックでは、障がいのある客としてではなく、ほかの客と同じように扱われる」と言われることだと語っている。
日本の宿に置き換えると
日本では、2019年9月から、延べ面積2,000㎡以上で50室以上のホテルや旅館を新築・増改築するとき、車椅子を使う人のための客室を、客室総数の1%以上設けることが義務になった。ただし、すでにある建物には、さかのぼって適用されない。
設備を一度に変えるのは難しい。だが、スカンディックの最初の一歩は、設備ではなく「体験」だった。車椅子を1台借りて、スタッフが交代で館内を回る。届かない棚、通れない通路、見えない案内を、その場で書き出す。それが、自分の宿のチェックリストの第1版になる。
InnBuddyシミュレーション(以下はすべて仮定)として、車椅子で使いやすい客室を持つ宿が、館内の情報を出していなかったために、問い合わせのあとで予約に至らなかった宿泊が月に2泊あったとする。1泊1万5,000円なら、年間で2泊×12か月×1万5,000円=36万円になる。ドアの幅、ベッドの高さ、段差の有無をサイトに載せるだけで、この一部は取り戻せるかもしれない。
車椅子で働いてみた2時間が、20年以上続くチェックリストを生んだ。
持ち帰れる知識
- 設備より先に、スタッフが不便を体験する
- 障がいのある客や団体と一緒に基準をつくる
- 基準は一度で完成させず、定期的に見直して育てていく
宿で考えられること
- 車椅子を借りて、スタッフが交代で館内を回り、気づいたことを書き出す
- ドアの幅、ベッドの高さ、段差の有無を測り、サイトに載せる
- 振動で知らせる目覚まし時計など、貸し出せる道具を考える
事業・予約への接続
スカンディックの公式サイトでは、各ホテルのページで、障がい者用の駐車場までの距離、ドアの幅、ベッドの高さなどを確かめられる。情報を先に出しておくことは、障がいのある客が安心して予約するための、最初の接客になる。
Sources / 参考情報
- DOGA(ノルウェー・デザイン建築センター、英文) - スカンディック・ホテルズ
裏付け: 2003年からの取り組み、車椅子を借りて3か月体験、スタッフの声(鏡の高さ、コーヒーカップ)、93項目・77項目必須・新築は全項目、現在は159項目、2009年に初めてウェブに資料、振動式目覚まし時計の由来、80cm以上の空間とドア幅、洗面台、フック、客の言葉、環境に敏感な人への配慮(じゅうたんのない部屋、低排出の塗料、無香料の洗剤)、全スタッフの研修(ビュッフェの配置、補聴設備)、フィスカース社長の言葉 - bayefsky.com掲載資料(英文) - スカンディック・ホテルズの障がいへの取り組み(2010年)
裏付け: 本社に車椅子を借り、3か月の間に全員が2時間ずつ体験 - スカンディック・ホテルズ・グループ(英文) - スカンディック、アクセシブルな客室に大きく投資(2008年9月1日)
裏付け: 2003年夏の就任、客室の10%以上という考え、2008年に100室以上追加、93項目の基準 - スカンディック・ホテルズ・グループ(英文) - スカンディック、国連でアクセシビリティを語る(2010年)
裏付け: 110項目の基準 - スカンディック・ホテルズ・グループ(英文) - アクセシビリティ賞を受賞、ウィーンの国連事務所で講演へ(2018年2月13日)
裏付け: 135項目の基準を全ホテルで実施、1万6,000人のオンライン研修、「ほかの客と同じように扱われる」 - ENAT(欧州アクセシブル・ツーリズム・ネットワーク、英文) - スカンディックのアクセシビリティ基準 2025年改訂版
裏付け: 設備の112項目と運営の6つの手順、ISO 21902に沿うことを目指す、より厳しい法律に従う - スカンディック(英文) - アクセシビリティ
裏付け: 各ホテルのページで駐車場までの距離、ドアの幅、ベッドの高さを確認できる - 日経クロステック - ホテル・旅館の車椅子対応客室、1%以上を義務化(2019年2月20日)
裏付け: 2019年9月1日施行、2,000㎡以上かつ50室以上の新築・増改築、客室総数の1%以上、既存建物への遡及なし