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ブランディングARTICLE 187

ダークツーリズムを考える — 地域の記憶・災害の記憶を大切に伝える宿のアイデア

「ダークツーリズム」という言葉は1996年、研究論文の中で生まれました。チェルノブイリの訪問者は2015年の8千人から2019年に10万人を超えました。岩手には、津波で浸水したホテルをそのまま保存し、自ら語り部になった宿があります。記憶を伝える宿の作法を集めました。

ダークツーリズムを考える — 地域の記憶・災害の記憶を大切に伝える宿のアイデア
2025.02.04Branding6分で読めます

災害や悲劇の記憶を、宿はどう扱えばいいのでしょうか。触れないでおくのが礼儀かというと、実は逆です。風化が一番の被害だと考える地域があります。この記事は、世界で「ダークツーリズム」と呼ばれる営みの歴史と、日本の被災地の宿が編み出した作法から、記憶を扱う技術を考える話です。

言葉は1996年、論文の中で生まれました

「ダークツーリズム」という言葉は、1996年にフォーリーとレノンという2人の研究者が論文で使ったのが最初とされます。2000年には2人による著書『Dark Tourism』が出版され、死や災害の場を訪れる観光を指す学術用語として定着しました。定義は「実際の死や災害の場の提示と消費」などと様々に整理されていますが、注目したいのは彼らの指摘した訪問者の2類型です。特別な関心や個人的なつながりを持って訪れる人と、そうしたつながりのない大多数の人。悲劇の場を訪れる人のほとんどは無邪気な野次馬ではなく、ただ「知りたい」人々なのです。だから問われるのは、訪れる側の心がけではなく、受け入れる側の語り方です。

FACT「ダークツーリズム」の言葉は1996年、フォーリーとレノンの論文が初出で、2000年の著書で概念として確立された — 訪問者には「特別な関心・個人的なつながりを持つ人」と「そうでない大多数」の2類型がある。論点は訪問者のマナーではなく、受け手の語りの質である。

チェルノブイリ — 8千人が10万人になった年

この分野で最も有名な場所は、ウクライナのチェルノブイリでしょう。1986年の原発事故の立入禁止区域は、2011年から大部分がツアーに開放されました。訪問者は2015年には8千人ほどでしたが、2019年には10万人を超えます。きっかけは、事故を描いた海外のテレビドラマの人気でした。こうした数字の跳ね上がりは、メディアが記憶への関心を一瞬で呼び覚ますことの証明です。同時にこの地では、ガイドの質と受け入れの仕組みが、関心を「学び」に変えるか「見世物」に変えるかの分かれ目になってきました。

日本で、ホテル自体が遺構になりました

日本の事例は、もっと切実で、もっと具体的です。岩手県宮古市田老の「たろう観光ホテル」は、高さ17メートルを超えるともいわれる津波で4階まで浸水し、2階までは流失しながら倒壊を免れました。2014年3月、市が建物を買い取り、津波遺構として保存。防災ガイドに申し込めば、震災当日にホテルで撮影された津波の映像とともに、内部を見学できます。宿が、自らの建物で語るのです。

宮城県南三陸町の「南三陸ホテル観洋」は、別の形で同じ役割を担いました。ホテルのスタッフ自らが町内の被災現場をバスで案内する「語り部バス」を運行します。大人500円という価格設定に、その思想が表れているのです。観光商品として儲けるのではなく、風化させないために乗ってもらいます。この取り組みは2017年度のジャパン・ツーリズム・アワード大賞を受賞しました。気仙沼市では2019年、被災した高校の旧校舎をそのまま残す遺構・伝承館が開館し、語り部ガイドが案内を続けています。つまり日本の被災地では、宿とホテルがダークツーリズムの中心にいるのです。

CASE岩手・たろう観光ホテルは津波で4階まで浸水した建物を2014年に市が買い取り「津波遺構」として保存。南三陸ホテル観洋はスタッフによる「語り部バス」(大人500円)を運行し、2017年度ジャパン・ツーリズム・アワード大賞を受賞した — 宿が自ら遺構になり、語り部になる。記憶の保存と伝承は、宿泊業の本業になり得る。

遡れば、この系譜の原点に広島があります。原爆ドームは、1915年に広島県物産陳列館として建てられた、チェコの建築家ヤン・レツル設計の建物です。1996年12月、「広島平和記念碑」として世界文化遺産に登録されました。戦後の市民が「負の遺産」として保存を決めたこの建物は、悲しみの場を保存し続けることが未来への訴えになることを、世界に示した最初の事例の一つです。

宿が記憶を扱う、5つの作法

  • 語りは地域から預かる — 宿が独自に被災や悲劇を語る前に、地域の伝承施設や語り部の会とつながりましょう。語りの枠組みは地域の合意があって初めて成り立ちます。
  • 静かな場所を案内する — 石碑、慰霊碑、津波の跡、移築された建物。そうした場所への「静かに立ち寄るコース」を案内に加えます。写真スポットではなく、静寂スポットとして。
  • 正確な資料を一つ置く — ロビーに年表や地図、写真を一つ。解説より、日付と地名と数字が並んだ事実の資料の方が、静かに伝わります。
  • 「聞きたい人」のための仕組み — 語り部ツアーや伝承館への案内を、いつでも見える場所に。押し付けず、隠さず。希望者だけが扉を開けられる形に。
  • 防災として接続する — 宿の避難経路と高台の案内は、記憶を「過去」ではなく「もしも」に変える実践です。宿の防災案内は、最も身近な伝承です。

記憶を商う者の責任

  • 見世物にしない — チェルノブイリで問題になったのは、記念撮影の作法を欠いた振る舞いでした。遺構や慰霊の場での撮影の案内には、静けさの前提を書きましょう。
  • 被災者への配慮 — 宿のスタッフや地域に、当事者がいる場合もあります。語るか語らないかは、当事者の心に委ねます。宿の都合で「話を聞かせてあげて」は成立しません。
  • 誇張と創作をしない — 数字は資料で確認し、分からない部分は分からないまま伝えましょう。記憶の信頼は、一度の誇張で失われます。
  • 「暗い思い出」にしない — 宿の役割は、記憶を残しつつ滞在を守ることです。案内の最後は、復興の現在と食事・風景に戻ります。絶望ではなく、継続を伝えましょう。
  • 向く宿・向かない宿 — 被災や悲劇の記憶がない土地にも、過疎、廃村、祭りの断絶といった「語りにくい記憶」はあります。ただし扱うかどうかは、地域の意思がすべてです。

InnBuddy VIEW

ダークツーリズムの言葉は1996年に生まれ、チェルノブイリの数字はメディアで跳ね、日本の被災地では宿自身が遺構と語り部になりました。記憶を扱う技術は、特別な設備ではなく「地域から預かった語り」と「希望者だけが開けられる扉」です。まず小さく、地域の伝承施設や語り部の会を訪ね、その案内を一枚、宿に置くことから。

この記事はアイデア共有を目的としています。災害や悲劇の記憶を扱う際は、地域の合意、当事者の心情、資料の正確性を最優先にしてください。

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