経営とWell-beingを同時に考える
「利益を出すことと、スタッフのWell-being(良好な状態)を大切にすることは、本当に両立できるのだろうか」「人を大切にすれば自然と利益が出るというほど、旅館経営は甘くないのではないか」。宿泊業の現場を率いる経営者や支配人から、こうした率直な葛藤をよく耳にします。利益を削って福祉を手厚くするだけでは宿は立ち行かず、逆に利益だけを追求して現場をすり減らせば組織は崩壊に向かうことがあります。この記事では、人事と経営を接続するHRBPの視点から、経営とWell-beingを切り離さずに同時に考える枠組みを整理します。
Well-beingとは何か——既存の概念としての理解
Well-being(ウェルビーイング)とは、特定の企業が提唱した独自の手法ではなく、心身の健康、社会的つながり、日々の充実感を含めた「持続的で良好な状態」を指す1般的な国際的概念です。
宿泊業において、なぜ今この概念が強く求められているのでしょうか。
背景には、深刻化する労働人口の減少と、おもてなし産業特有の過密労働(長時間労働や中抜けシフト、変形労働時間制)があります。かつてのように「現場の自己犠牲や我慢」を前提とした運営モデルでは、採用も定着も成り立たなくなっている現実があります。
とはいえ、「人を大切にしていれば利益が増える」という単純な因果関係を信じるだけでは、経営の荒波を乗り切ることはできません。
経営とWell-beingは、どちらかが従属する関係ではなく、車の両輪として同時に設計されるべき戦略課題です。
2項対立を超えて——「手段」ではなく「土台」
多くの宿で経営とWell-beingが対立してしまうのは、「Well-beingは利益が出た後の余裕でやるもの(福利厚生)」と捉えてしまうからです。
しかし、HRBPの視点に立てば、両者の関係は以下のように捉え直すことができます。
- 従来の2項対立モデル——「利益の追求(業績)」対「スタッフへの配慮(コスト)」。業績が悪化すると、真っ先に研修費や福利厚生、人員が削減される。
- 統合的な持続可能モデル——「スタッフのWell-being(身体の休息・心理的安心・成長実感)」が健全なサービス品質を生み、顧客の深い満足と高単価(ADR)を支え、その収益が宿の存続と処遇改善へと循環する。
つまり、Well-beingは利益の果実を分け与える贅沢品ではなく、利益を生み出すための「操業基盤そのもの」と言えます。
スタッフが心身ともに健全でなければ、お客様を温かく迎えることはできず、クチコミも悪化し、結果として売上基盤が失われてしまいます。
宿泊業における「3つの統合アプローチ」
経営とWell-beingを1つの机の上で同時に進めるためには、具体的な経営の仕組みに落とし込む必要があります。
- 受入設計と休息の同期——売上目標を先行させるのではなく、スタッフが健全に働ける総労働時間から逆算して客室の販売上限や休館日を設定する。
- 業務改善による余白の創出——動線の見直しやITツールの活用によって無駄な作業を省き、浮いた時間を「スタッフの休息」と「お客様との丁寧な対話」へと振り分ける。
- 評価と成長の連動——単なる売上達成率だけでなく、後輩の育成やチームへの貢献、安全な職場づくりを評価基準に組み込み、スタッフが誇りを持って成長できる環境を整える。
対応の差が生んだ2つの現場
経営とWell-beingの捉え方によって、宿の組織はどう変わるでしょうか(※現場で実際に見られる対照的なケースの比較です)。
- A館(Well-beingをお題目にした宿)——経営陣は「従業員の幸せ」を掲げ、休憩室にお菓子を置くなどの施策を行いました。しかし、過密なシフトや連日の残業には1切メスを入れず、売上ノルマを厳しく課し続けました。スタッフは「経営は口先だけだ」と冷笑し、信頼関係は失われ、中堅の離職が続きました。
- B館(経営戦略の土台にWell-beingを据えた宿)——経営陣は「スタッフが疲弊した状態での満室は目指さない」と宣言しました。閑散期だけでなく繁忙期にも交代で連休が取れるようシフトを再設計し、提供する料理の品数を絞って仕込みの負担を軽減しました。スタッフの表情に明るさが戻り、接客の温かさが高く評価されて客単価を引き上げることに成功しました。経営の安定とスタッフの働きやすさが高い水準で調和しました。
経営とWell-beingは、対立する2者択1ではなく、共に高め合う未来の羅針盤です。
現場の状況を捉え直す4つの問い
- あなたの宿では、Well-beingが「利益が出た後の余裕」として後回しにされていませんか。
- あなたはスタッフの心身のゆとりが、サービスの品質や顧客満足の源泉であると信じられていますか。
- 売上目標を立てる際、現場スタッフの健康維持や休息が前提条件として組み込まれていますか。
- 経営陣と現場リーダーの間で、「持続可能な働き方と業績の両立」について本音で語り合えていますか。
自館の改善に向けて今日できること
経営会議や朝礼の場で、「スタッフが笑顔で働き続けられること」を宿の経営目標の1つとして言葉にしてみてください。
- 人の健やかさを経営の中心に据える宣言が、組織の信頼を深める確かな1歩になることもあります。
- 経営とWell-beingを調和させる歩みが、あなたの宿をどんな時代にも愛され選ばれ続ける場所へと導きます。
あなたの宿の成長は、スタッフ1人ひとりの健やかな営みの上に咲いています。